ウィーン体制

七月革命とその影響~オルレアン朝・ベルギー独立など~

七月革命とは? ウィーン体制によって、 せっかく倒したはずの ブルボン王朝が復活しました。 そこで、共和派の人びとによって、 再びブルボン王朝は倒され、 オルレアン王朝による立憲君主制の国家(七月王政)が誕生するとい...
鎌倉時代

鎌倉時代の将軍と御家人の関係~御恩と奉公の封建制度~

「所の政治」 侍所・公文所・問注所など、源頼朝の独裁色の強い政治が鎌倉幕府の初期の政治体制でした。 これを所の政治ところのせいじといいます。 御家人 源平合戦が始まると、関東地方の武士たちは源頼朝を、自分...
第一次世界大戦とロシア革命

キール軍港蜂起と第一次世界大戦の終結

皇帝の戦い 1918年に行われたドイツ最大の西部戦線への大攻勢のこと。ブレスト・リトフスク条約で、ロシアと休戦したあと、東部戦線の戦力を西部戦線へと向けたが、補給物資の不足のために進撃は止まってしまいました。この戦いを皇帝の戦いカイザー・...
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第一次世界大戦とロシア革命

アメリカ合衆国の参戦とソヴィエト(ロシア)政府との休戦協定

1917年、第一次世界大戦に転機が訪れます。 中立国・アメリカ合衆国の参戦と、 ロシアには十月革命で、 ソヴィエト政権が成立しました。 アメリカ合衆国の連合国支援 ウィルソンの再選 1917年1月、ウィルソンがアメリカ合衆国大統...
第一次世界大戦とロシア革命

イギリスの戦時秘密三枚舌外交とその矛盾

イギリスは戦後の同盟国側の領土・植民地の配分を 中立国を味方に引き入れるために、 秘密条約を結んでいます。 今回は、 イギリスの三枚舌外交と、 それがきっかけで引き起こした 現在のパレスチナ問題について ざっくりとご紹介します。...
第一次世界大戦とロシア革命

第一次世界大戦における総力戦体制と挙国一致内閣

新兵器の導入 第一次世界大戦の初期には、参戦各国ともに、 陸海軍に150機~200機程度の航空機・飛行船部隊を持っていましたが、 航空機・飛行船の任務はほとんど偵察にありました。 イープルの戦い(毒ガス初使用) ドイツ軍は膠着し...
ヨーロッパ世界の形成と発展

ローマ=カトリック教会の発展と権威と教会の腐敗と堕落

ローマ=カトリック教会 封建社会ができたことにより、 ローマ=カトリック教会はしだいに、 修道士たちの心の拠り所として、 権威を高めていきました。 聖会諸侯 国王や諸侯からも土地の寄進を受けて、 政治的にも世俗諸侯(非聖会の諸侯...
戦国時代

織田信長の尾張統一

浮野の戦い 岩倉城の織田伊勢守家・織田信賢(おだのぶかた)が 美濃国の斎藤義龍と結んで織田信長を攻撃しました。 織田伊勢守家(岩倉織田家) 尾張国上四郡を領する嫡流の守護代家です。 この頃は織田信安の子である 織田信賢と織田信家...
戦国時代

織田信長、謀反を企てた弟・織田信行を殺害

織田信長と織田信行の家督争い 織田信行は織田信長と2歳違いの兄弟です。 織田信長が兄で、織田信行が弟です。 稲生の戦い 1556年8月22日、 織田信行は、 父・織田信秀の宿老である 林秀貞(はやしひでさだ)・柴田勝家(しばたか...
戦国時代

織田信長と生駒家宗の娘・「吉乃」との結婚

織田信長の正妻である 帰蝶(濃姫)との間には子どもがいませんでした。 結婚 吉乃(きつの)は、尾張国小折村(こおりむら/江南市)の 土豪・生駒家宗(いこまいえむね)の娘です。 織田信長は、尾張清須城から近臣十数人を供に、 何回も...
戦国時代

織田信長の清須城入城~主家・清須織田家の滅亡~

尾張守護・斯波義統の自刃 1554年7月12日、 尾張守護・斯波義統(しばよしむね)に 尾張下四郡の守護代・織田信友(おだのぶとも)と、 その家臣で小守護代・坂井大膳(さかいだいぜん)らが 斯波義統の子・斯波義銀(よしかね)が ...
戦国時代

聖徳寺の会見(織田信長と斎藤道三の同盟確固に)

前回、斎藤道三(さいとうどうさん)の娘 帰蝶(きちょう/濃姫/のうひめ)を 織田信長に嫁がせました。 その織田信長がうつけ者だという噂の 真相を確かめるために、 濃尾国境の中立地帯にある 尾張富田の聖徳寺(しょうとくじ)で、 ...
戦国時代

織田信長と斎藤道三の娘・帰蝶(濃姫)の結婚・夫婦に

織田信秀と斎藤道三の講和 加納口の戦い 1547年9月、加納口(かのうぐち/現在の岐阜市)で、 織田信秀と斎藤道三が戦い、 斎藤道三が勝利し、織田信秀は敗退します。 小豆坂の戦い 1548年3月、小豆坂(あずきざか/現在の岡崎市...
ヨーロッパ世界の拡大

大航海時代の背景

大航海時代とは? 15世紀末から16世紀初めにかけて、 インドや新大陸へ向けた航路が開拓された時代のことです。 スペイン・ポルトガル両国王が中心となりました。 大航海時代の背景 経済的動機 アジアの産物・胡椒などの香辛料をオス...
明・清代の中国と近隣国

明朝時代の農業の発達~湖広熟すれば天下足る~

佃戸制の継続 長江下流域の豊かな穀倉地帯の経済力を背景に 洪武帝は全国統一を成し遂げました。 洪武帝は当初、 元末の混乱で荒廃した土地の私有を認めたり、 労働人口が不足している土地に農民を移住させたりして、 耕地の拡大と農業生産...
古墳時代

日本最大の古墳・仁徳天皇陵発掘調査開始 宮内庁と堺市が共同で

日本最大の前方後円墳として知られる仁徳天皇陵。 墳丘の長さはおよそ500mあり、 三重の堀で、囲まれています。 今回の調査は 2つある堤の内側の第一堤で行われ、 南東部の3箇所で幅2mの溝を掘り、 埴輪が埋まっている位置を確認し...
明・清代の中国と近隣国

北虜南倭による明朝の衰退

前回、 において、朝貢貿易が拡大する明朝でしたが、 永楽帝の死後は、朝貢貿易が拡大することはありませんでした。 「北虜南倭(ほくりょなんわ)」への対応が 忙しくなるからです。 今回は、北虜南倭によって、 明朝の衰退を見ていきま...
戦国時代

織田信長(吉法師)の誕生-2歳で那古野城主に-

尾張での勢力 守護・斯波氏と守護代・織田氏 尾張では、 守護の斯波氏が守護代の織田氏に実権を奪われていました。 織田氏も2家に分かれ、 上4郡を支配する岩倉城の 織田伊勢守家(おだいせのかみけ)と 下4郡を支配する清須城の 織田...
第一次世界大戦とロシア革命

ドイツのシュリーフェンプラン(シュリーフェン作戦)とその破綻

シュリーフェンプランとは? 中欧に位置するドイツはロシアとフランスという東西の両強国に挟まれるという構図にありました。 そこで、ロシアとフランスの2正面作戦に備えて作られた計画です。 1906年まで参謀総長の地位にあったシュリー...
明治時代

明治時代の兵制・軍制~理念は「国民皆兵」?~

明治時代の兵制・軍制はどんなものだったのでしょうか? みていきましょう。 理念 国家を強化するために、これまでの諸藩士を中心とした軍隊にかわって、 徴兵制にによる国民を基礎とした軍隊を作り上げる必要性がありました。 そこで出てき...
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