朱元璋(洪武帝)の台頭と明の建国

明・清代の中国と近隣国

朱元璋

誕生・幼少期

1328年朱元璋(しゅげんしょう)安徽省濠州の貧しい中でも一番貧しい小作農(佃戸)の家に生まれた。(現在の安徽省徐州市鳳陽県)
本名は重八。(一族同世代の中で8番目に生まれたから)
ちなみに、父親の名前は五四(ごし)。 両親の年齢を足したもの。
こうした命名法は当時の学のない農民の中ではよくおこなわれていた。
1344年、
疫病の流行で、父母。長兄が疫病で死去。
皇覚寺に小僧として出されたが、 寺の食糧が尽き、やむを得なく托鉢僧となって、旅に出された。
儒学者に、占いで 「お前はただ者ではない、素晴らしい運勢のもと生まれている。 命を大切にせよ。」と言われた。
3年後皇覚寺に戻る。

挙兵

1352年濠州の土豪、 郭子興(かくしこう)は紅巾を名乗り挙兵。
朱元璋は郭子興のもと、頭角をあらわします。
朱元璋は各子侯
郭子興の死後、 朱元璋は軍団を継承し、勢力を拡大。

呉の樹立

1356年、集慶(南京)を占領。独立国呉を樹立。
儒学の素養を持つ、知識人が仲間に加わり、
反乱軍の指導者から、儒教に基づく支配者へ変質する。
その後、陳友諒や張士誠を撃破し、長江一帯の豊かな土地を支配。

元の追放と明の建国

1367年、元朝に討伐軍を派遣し、また、江南、四川の群雄を排除。
1368年、応天(金陵/南京)を都として、
元号を洪武(朱元璋から一世一元の制といわれる1人の皇帝につき、1つの元号にすることを始めた)と定め、明を建国。
明は五行説の「朱明」から来ていると思われる。
元は首都・大都を放棄してモンゴル高原に撤退し、北元と言われるようになった。

朱元璋の似顔絵

追記
似顔絵描きました。
朱元璋
大体こんな感じです。性格の醜悪さが顔にも顕れています。
いずれ書きますが、粛清をバンバン行いました。
また、苦労も顔に出ています。 病気を患いましたからね。
仕方ないとは思います。
また、ちゃんとした顔のほうもありますが、
あれはそういう顔に書かせたものと思われます。
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