聖徳寺の会見(織田信長と斎藤道三の同盟確固に)

戦国時代

http://rekishi-sogo/blog/2018/11/18/6149 前回、斎藤道三(さいとうどうさん)の娘 帰蝶(きちょう/濃姫/のうひめ)を 織田信長に嫁がせました。 その織田信長がうつけ者だという噂の 真相を確かめるために、 濃尾国境の中立地帯にある 尾張富田の聖徳寺(しょうとくじ)で、 1553年4月に会見をしました。 [caption id="attachment_6154" align="aligncenter" width="300"] 日本城郭資料館所蔵[/caption]

斎藤道三の観察

聖徳寺に先に到着した斎藤道三は、 家臣700~800人を正装の姿で聖徳寺本堂の前に整列させておいて、 自身は町外れの小屋から信長の様子を観察しました。 すると、織田信長一行が通りかかりました。 たしかに噂通り、織田信長は噂通りの うつけた態度・服装でしたが、 織田信長が連れていたお供のものたちは、 槍兵約500、弓・鉄砲約500という 立派な行列でした。 また、織田信長は聖徳寺につくと、 髪形や服装を正装に改めて、 会見に臨みました。

結果とその後

斎藤道三はこの会見で 織田信長の並々ならぬ力量を見抜きました。 斎藤道三は帰り道で 家臣・猪子兵介(いのこひょうすけ)に 「残念ながら自分の子供たちは皆織田信長の家臣になるだろう」と 語ったという逸話が残っています。 以後、斎藤道三と織田信長の同盟は確かなものとなります。 しかし、斎藤道三は、 義子・斎藤義龍の謀反に遭い、 1556年、生涯を終えます。]]>

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