薩長連合締結

幕末
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坂本龍馬が歴史の教科書から消えたとしても、
サイト運営主は歴史用語を増殖させることで、
歴史に少しでも興味をもってもらえれば、
と考えています。

薩長連合の締結

薩長連合締結の背景

長州藩の背景

長州藩の軍備強化を背景に、
幕府から第1次長州征討の戦後処理として、
領地削減などを求められてもこれに応じませんでした。
長州藩はまたまた
幕府に反抗する姿勢をみせるようになりました。
長州藩は外国に負けたことで、
外国の強さを自ら体感していました。

四国連合艦隊下関砲撃事件

https://rekishi-sogo.com/blog/2017/10/30/5553
 

第1次長州征討と奇兵隊

https://rekishi-sogo.com/blog/2017/11/21/5592
 

薩摩藩の背景

薩摩藩は生麦事件から薩英戦争にいたる一連の流れで、
イギリスとの戦争を通じて、
武力による攘夷の困難さを
自ら思い知らされました。

生麦事件
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薩英戦争
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イギリス公使・パークスによる雄藩連合政権への期待

1864年からイギリスの対日政策は
少々変わることとなります。
1865年、オールコックに変わって、
パークス(Harry Parks/1828~1885)が
イギリス公使に着任します。
イギリスは薩摩・長州と手を結び、
貿易を行うことで、武器を輸出し、
軍事行動を伴わないで
新しい政権ができることを
希望するようになりました。

薩長連合の締結

薩摩藩の実権

1865年から薩摩藩では、
西郷隆盛(さいごうたかもり)大久保利通(おおくぼとしみち)らが
藩の実権を握りました。
藩論は開国・武力倒幕に統一されました。

長州藩の実権

長州藩では、
高杉晋作らが藩政を握りました。
同じく開国・武力倒幕に向かって進みました。

長州再征に向けての幕府の対外政策

幕府は長州藩に武器を売らないよう
諸外国に要請しました。
これを受けて諸外国は、
長州藩に武器を売ることを控えました。

薩長への坂本龍馬の説得

土佐藩の坂本龍馬と中岡慎太郎は、
八月十八日の政変以来の薩長のわだかまりを捨て、
両藩を連合させるための説得を試みました。

幕府倒幕の密約(薩長連合の成立)

1866年1月、
大坂で薩摩藩の小松帯刀(こまつたてわき)・西郷隆盛、
長州藩の木戸孝允の間で討幕の密約が交わされた。

これを薩長連合といいます。
 

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